荒れ地のなかスタジオ準備録3

荒れ地のなかスタジオ/In-Field Studio 2019 in Otama (https://infieldstudio.net)

制作とイメージの間について

21日、スタジオに参加する山口純さんと東京で打ち合わせ。現状の鋳造作業の状況を報告し、改めてスタジオの中身について相談。
純さんの「物活論」(以前のスクラップ装飾社の展示に関する論考参照:https://www.facebook.com/scrapsoshokusha/posts/514882048679107/)も踏まえた、モノの制作(施工、現場)とイメージ構想(=いわゆる設計、計画)との関係性について、それぞれの考えを出し合う。
現場と設計の間をどのように交わらせるか。純さんはDIYの可能性を考え、京都の本町エスコーラで実践を試みている(https://thinkmachi.exblog.jp/25975682/)。
また、現場と設計の両者をもし、一人の人間が合わせ持つとすれば、それは手仕事による制作とドローイングの関係となる。
現場と設計の間、手仕事とドローイングの関係のラインを、金物作りの歴史に置き換えるとすれば、おそらく、1.鉱石から作り出した金属塊を用いた鍛金、造形、2.真土型、砂型などの初期鋳造、そして3.金型による大量生産を想定した鋳造を含む機械産業の順に並ぶと思う。この順序はまた生産可能なロットの大小も同じである。2.の初期鋳造は、ある種の中・小規模生産型の技術と言えるだろう。
今回の「荒れ地のなかスタジオ」ではそんな初期鋳造を試みる。現場と設計の間、決して大規模ではない技術をもって、モノの制作とイメージ構想の間の距離について考えたい。また、それは金物という建築の部品生産、プレファブリケーション(既製品)の一部を、設計者をはじめとする建築を構想する者が自ら制作することに可能性を見ているからでもある。設計と施工の乖離の感覚、計画と現場の隔たりは、もちろん契約や保証に関する問題もあるが、建築を構成する部品のほぼ全てがプレファブリケーション、現場外での工場生産によってなされるようになったこともその問題を大きくしているのではないか。工場生産された部品群の現場での組み合わせはほとんどガンジがらめのルールにしたがってやらなければいけない。既製品の組み合わせの工夫自体が昨今の建築設計の内実であり、組み合わせ作業が現場の状況である。
プレファブリケーションの制作の一部を、設計が実践することから、工業化の次なる形式に足を進めてみたいと思う。