KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

160220

磯崎新「偶有性操縦法」(『現代思想』各号)を続けて読んで、当然自分の皇居前広場のフィクション=計画を思い出した。
http://www.jia-kanto.org/shushiten/2013/date/32/index.html
この時は自分の空白さと日本の広場の虚妄さを結びつけることに考えが傾いてしまったけれども、改めて都市論として考える必要があることはわかっている。
未だ想い止み難しの荒れ地論が当然結びついていく訳だけれども、そこにニヒルな感覚を介在させてはいけない。その意味で、論中に指摘されていた岡本太郎の「彼を『最も感動させたのは、意外にもまったく何の実態も持っていないーといって差し支えない御嶽だった』(『沖縄文化論ー忘れられた日本』)」の指摘が自分にとってとても重要だった。有の造形を実践していた岡本太郎からのその無のフィールドへの発意、有と無が対立しないという当たり前のことを確認。
岡本太郎の「お化け都市」構想も、この前読んだ宮本常一の『日本残酷物語』をめぐる対談の中の岡本太郎の「僕の絵なんか、いってみればみんなお化けみたいなものばっかり描いていますが、それはなにもお化けをつくろうとしているんでもなくて、素朴なまでに現実的な感動を定着しているだけなんです」(「残酷ということ」『現代思想』2011年11月臨時増刊号)の告白含んだ一連の日本文化論を踏まえれば極めて冷静な眼差しを持った構想なのだと思う。