KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

160705吉田寮の空気

吉田寮の空気

京都大学の吉田寮を訪れたのはたしか6年か7年くらい前のことである。高山建築学校に初めて参加した年の春だったと思う。自律とはなにか、特に自律の建築創作とはなにか。吉田寮を訪れた時には現地の空気感も相まってそんなことを考えていた。しかし、その時の高山建築学校には正直期待を裏切られた。というより、建築への熱意、熱狂を探しに参加したが、その熱意はその場所に充満していなかった。要するに酸欠状態であった。空気の薄さを感じた。
けれども、その空気の薄い場所に立った自分自身について考えてみる。建築への熱意とは一体なんなのだろうか。自分が求めて、探そうとした建築とはどのようなものなのだろうかと。そして、そんなものは「学校」という場で果たして見つかるものなのだろうか。巨大な[?]が自分の頭に浮かんだ。と同時に「学校」あるいは「私塾」に対して、その場所に身を置くことで何か得られるだろうのある種の幻想を抱く自分自身の甘さと空虚さを痛感した。

「高山建築学校には何もない。あるのは野っ原のようなポッカリと空いた場所だけだ。」
そのようにひとまず合点する。高山建築学校の敷地内にはいまもゴロゴロと過去の残骸が草むらのなかで横たわる。芭蕉然りの、ツワモノどもが夢の跡のあの風景である。夏休みに、お盆休みに日本列島を襲う亜熱帯性の茫洋とした熱風の如き、目眩のするような幻想の風景である。幻想といってもそれは自己幻想に過ぎない、結局は共同するまでもない、あるいはかつてのサークル村の如き村共同体を虚構して前進する訳でもない、動かない村の景色である。そんな景色に当時の私は絶望した。

動かない村、あるいは静止した原っぱの中で何をやるか。それが自分自身に勝手に課した問題であった。高山建築学校の「学校」という言葉が意味する、意図するものにこだわったこともあった(今もこだわっている)。村のような生活共同体でもない、一方で単なる場所でもない、幾人かの人間があくまでも限定した時間と場所を共有するその集合状態に積極的な意味を見つけようとした(している)。そして参加者が毎年出入りして組織の新陳代謝を続ける運動体の存続自体に価値の一つを見出そうともした。「学校を作る学校」、「場を作る場」。動き続ける永久機関としての建築運動体を夢見た。けれども、その執着の意に比して結局自分の身体と時間を十分に傾注できずにいる。明らかにこれからの課題である。

ともあれ高山での小さな挫折があって、私の意志は、インド、そして福島へ飛び火した。思考は場所を越えて、時間を横切って螺旋的に旋回し、また各地点間連関の筋道を確保する。建築運動体=「学校(場)を作る学校(場)」の構想の種を各地に配置することになった。インドでは詩人R・タゴールを、福島では宮沢賢治と高村智恵子をそれぞれ背後に据えようとしている。彼ら先人たちが描こうとした夢あるいは行動の軌跡に倣う形で、運動体の素形を探そうとしている。歴史に学ぶ、というほどに自分とその土地が持つ過去の事象との間に連関性は無いのであるが、自分自身の意欲あるいは想像力はこれからの創作に向かうと同時に過去の事象の再照射を試みる方向にも向いている。ゴミの山のような過去を掘って掘り進めることで未来が分かる、というのは石川淳の長編『狂風記』の物語の基底であろうと記憶しているが、現実もまさにそうなのだと思うし、少なくとも個人もしくは小集団が何かモノを作ること、考えることをするのは根源的には、すべからく過去とどのように接続するかを調べることなのではないかと思う。個人の想像力の発露!といった卑小な話ではなく、常に時間の、世界の大きな流れというものを探してみるべきである、むしろ歴史を感応する想像力を身につけるべきである、とここでは敢えて言っておきたい。建築を作ること、場を作ることの本義はそこに尽きる、と思っている。

2016年7月5日 佐藤研吾