160927Santiniketan

9月24日、ウェストベンガル州のコルカタから北へ150kmあたりに位置するシャンティニケタンにて。Milon Dutta氏とともにNilanjan Bandyopadhyay氏と敷地で面会。彼は日本の文化を研究し、すでに敷地内で庭園の整備を進めている。Visva-Bharati大学の敷地のすぐ近くにある、小さいが自然豊かな敷地で彼の計画の考えを聞かせてもらった。ドゥッタ氏に聞くと彼はベンガルで有名な作家、ペインターとも。
敷地内には我妻和男氏の墓があった。彼は生前の我妻氏とも交友が深かったそうで、その墓もしっかりとしつらえ直したいとのこと。
彼がブックデザインに携わったというタゴールの日本来日時の講演録の本を頂く(“Talks in Japan”)。中には日本では見たことのなかったタゴール来日の際の写真が数多くあった。
庭園計画と幾つかの文化的エレメントの展示を備えたサロンとしての小建築。12月までに案をファイナライズする。コンテナで日本の古材、古建具をベンガルに持ち込むことも念頭に進める。

25日
ドゥッタ氏がデザインしたアートセンター、個人邸宅の幾つかを見せてもらう。各所に日本建築を参照した部分があった。外部の大部分の独立柱をレンガ積で作っている。仕上げを施す部分と施さない部分を使い分けててテクスチャーを配置している。
森の中のマーケットへ。ローカルの人々が市の中で青空店を構えている。クラフトの制作を地方政府が村に対して援助しながら進めているらしい。
その後シャンティニケタン郊外の部族集落SANTALを訪れる。土壁で覆われた民家と塀は、下部が黒色と赤色の別種の土で塗り分けられている。そして幾つかの壁面には壁画と言える大きさの装飾が施されていた。
聞けば、VisvaBharatiのアーティストが作品制作の手伝いで村の人を雇い、村人は技術を習得し、独自に自分たちの村で実践をしているらしい。芸術と民俗の融合をここで見つけた、と強く感じ入った。これはしっかりと言葉を考えていく必要がある。
ドゥッタ氏は、自宅の各所で太陽光発電と植物利用によるエネルギー負荷低減の試行をやっている。地元の石を積み重ねた壁の作りが面白い。ベンガルでの気候・構造計画とともにこうした環境的計画も予算の範囲内で検討していく。
シャンティニケタンの外の部族集落の民家を訪問する。小さな庭にニワトリとヤギと牛を囲っている。入り口の門には小さな赤い印があった。神様を示しているらしい。民家は竹とPalmツリーという南国由来のヤシの木を骨組としている。Palmツリーは表情は荒いが硬い材なので木の架構として使える。


26日
Visva-Bharati UniversityのJapanese Dept.にて、Dr.Gita A Keeniさん、prof.Dilip Mitra(President of Kala-Bhavana)氏とPrasanta Ghosh(Social work Dept.)氏と面会。来春のシャンティニケタンでの計画について内容を共有。
ワークショップ”In-Field Studio”の開催は2017年3月16日から22日の期間でほぼ決定。シャンティニケタン近郊のLocal Villageをサーベイし、その村の(主に民家の)コンストラクション及びオープンスペースでの活動にコミットメントする。
日本および外国からは約10名、現地から8名、他インド地域(VDA含む)から約8名の参加者を募る。また毎夕、講師陣による連続レクチャーを開催する。活動内容、成果物、レクチャー内容は全て記録し、ウェブサイトにアップ、書籍化の予定。

午後、SriniketanにあるPrasanta Ghosh(Social work Dept.)氏の所へ。近郊のtrival villageを案内してもらう。Social Workはすでに近郊の村にコミットメントし、物品販売のためのクラフト制作援助や施設・インフラ整備を行っているらしい。
Kheladanga(Kendangan)という村をフィールドとして活動させてもらう形で進めることとなった。そこにはすでに幾つかのオーナメント(壁画)があり、そうした生活の背景、クリエーションの根幹を探りたい。
隣の地域Amalkutirには立派なお土産屋とワークショップスペースがある。同じくゲストハウスもあり、そこで我々は作業と滞在ができることになった。

話をしている限り、彼らプロフェッサーとこちらの間には考えの齟齬があるとも感じられる。特にArtというものについて。彼らは作品を作りそれを保存することが必要だとする。けれどもこちらが考えるArtとはあくまでも生活に接しているモノなのである。外部内部という当事者の立場の問題はあるが、モノ自体の所在を考えるならば、その作品は村の中に作り、村に委ねるべきだと考える。
様々な専門領域の人間がこのStudioに関わることになる(そうするようにしたい)が、重要なのはあくまでもモノと場所(空間)なのである。そこはブレないようにしたい。

夕方Milon Dutta氏とともに彼の師であるProf.Raj Kumar Konar氏の家へ。彼からシャンティニケタンについて、ベンガルのデザインについて、そしてそれぞれの歴史観についての話を聞く。
インドの建築の始まり(起源)はTheater, Dramaであるとの指摘。タゴールもまたそうした空間感覚を持っていた。彼が尊敬する二人の人間、R.タゴールとF.L.ライトはそれぞれ日本文化、日本空間の体験を経てそのクリエーションの質を変化させた。特にカサハラという技能者がシャンティニケタンを訪れ幾つかの木造建築や庭園を造ったことがタゴール自身の庭園計画などに大きな影響を与えているという。

また現代のシャンティニケタンにはすでに本格的なクラフト・工芸文化は失われつつあるとも。商品経済がすでに浸透しそのための労働に成り代わりつつある、とも。ヴァナキュラーであればベンガル南部の奥地の村落を探したほうが良い。そこには家具の無い、土の文化があると。
彼の言っていることはかなりよく理解できる。
良くも悪くもタゴールが設立した大学は、土着の村落に大きな影響を与えて現在にいたる。それは当然タゴールが意図したことでもある(Rulal-development Dept.の設立など、)。農民経済の回復と土着文化の精神性の復活が彼がそこに小さな学校を作った目的でもあった。その質がインド全体の近代化とともに変化してきたのであろうし、均一的価値観と貨幣経済の蔓延によってその発展の方向性を変えざるを得なかったのだとも思う。
だからこそ、今、記録する必要があるのであると思う。そしてまたある種の崩壊過程にこそ、現代の創作につながる筋道を見つけなければいけないのではないか。未だ幸い残されている辺境の未開文化を探し求めても仕方が無い。環境は時間とともに変わっていくとしても、どんなに叩きのめされても消えないものこそがその場所の”伝統”としてあるのだと考えたい。

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村の一角にあった牛の水飲み場。奥の壁の屋根の構造はParmツリーCtXKurgUAAQhRJ0

Dutta氏の自宅の屋上。ソーラーパネルでエネルギを起こしつつ、隣では様々な植物を作っている(いただいた昼食にも入っていた)。 CtXNYBzUAAEyYgj

牛舎と人間の住居は多くが隣接している

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Keladanga村の中心の通り。この建築の足元は学びたい