170113Tokyo-Vadodara

170113
エアチャイナに乗る。ただのトランジットであるが初めての北京である。機内には日本人の姿がほとんどない。旧正月との関係があるのだろうか?成田から北京へ行くには丁度ソウルの真上を通り、北朝鮮近海は若干の迂回をして天津へ向かっている。
機内で日本へのいくつかの連絡をして、インドのバローダで出題する設計課題について考える。課題は「New Temple」である。

バローダに到着する。早朝なので外はまだ暗い。Sapan Hirparaが迎えに来てくれる。彼は先月論文を提出しCept Universityを卒業したらしい。今はVDAでトータルに授業のサポートをしている。
宿舎に荷物を置いてVDAに到着。オレンジとパッションピンクのブーゲンビリアの花が通り一面に咲いている。朝9時頃、すでに学生たちは集まっている。通常9時から授業が始まる。終了は5時頃であるが当然それ以降も学生たちは残って作業を続ける。学生はみな学校の近くに部屋を共同で借りており、帰っても寝るだけらしいので、多くの学生が夜も学校に残っている。VDAは郊外にあるので、周りには道端のキヨスクくらいしかない。ある意味理想的な環境である。
午前、校長のProf.Hirparaと面会、打ち合わせ。三年生の授業はすでに始まっており、他の先生がすでにその授業を担当している。なので私の担当及びこちらから提示した課題「New Temple」は一年生の授業に移行することになった。ただ、一年生となればそのアウトプットはより分かりやすいものを設定しなければならないので若干の修正を考える。加えて、上級生用に木曜日と日曜日のフリータイムを使ってのオプショナルなクラスを開設し希望者を募ることにもなった。各人のレベルに即して対応する。
Prof.HirparaからインドのTempleについての講話を得る。寺院が周囲に対して宗教活動を支えるための様々な仕事の機会を提供していること、またそうした周辺の人々が一つの共同体とその地域圏を形成していること。寺院の中にプリースト(僧侶)の家族が暮らしており、彼らが毎朝夕参拝のための準備をしていること。様々な宗派と神様がそれぞれの地域・寺に存在し、それぞれが独立した活動をしていること。当然であるが日本のかつての寺院と状況はほとんど変わらないように思う。New Templeの課題をインドでやってみるということは、私にとっては日本においてなぜ寺院や神社を中心とする宗教が持っていた文化慣習が崩壊したのかを考えることにもつながる。
Prof. Ekboteと外の芝生で再会。前回のワークショップにおいてはバローダの歴史とかつての生活についてとその実感からなるまさにバローダに極太の根を張ったクリティークをいただいた。Prof.EkboteはVDA校長の先生である。校長Prof.HirparaはEkbote氏ともう一人、Cept Universityのかつての建築学部長Chhaya氏を師に持つ。どちらも良心的な建築の知見を持った人物である。
エクボーテ氏はカーンのかつての仕事を手伝い、チャヤ氏はインドのマスターアーキテクトと呼ぶべきB.V.Doshiの血をひいているので、つまりはVDAはカーンとコルビュジェをその背景に持つとも言える。そのキャリアを校長自身がどう考えているのかは知らないが、一方でそうした血統を否定するかのように明らかにコマーシャリズムからは距離を置いた極小の、そしてプリミティブな素材と構法からなる建築に可能性を見出しているようにも思える。確かにカーンもコルビュジェもインドの大富豪の力によってその地に呼び寄せられた故に、彼らのインドでの成果としての作品も権威的であることを要請されていたのは間違いない。けれども、彼らの建築の物質としての潔さはインドの人間と自然双方がザワめきあう環境と上手な調停関係を結んでいるのではないだろうか。およそ半世紀が経った今、改めてインドで佇む彼らの建築の姿に希望を見出したいと思うのである。