KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170114Anand-Kanjrao

170114
14日と15日の土日はカイト(Kite)フェスティバルというお祭りで、グジャラート全体が休日らしい。13日の夜、校長の自宅に連れっててもらいお祭りの期間滞在することとなった。13日の夜は途中のレストランで何やら彼らの友人らも集まって会食。BBQ屋で、ノンベジとベジの2種類が揃っている。グリルがテーブルに二つ並んでおり、おそらく間違えないように使い分けられている。BBQ、カレー、デザートと続く。食べ過ぎである。下の息子のドゥウィジくんもアーメダバードから到着。彼もCEPTで建築学んでいる。親子揃って建築家族である。

14日、Aman郊外の村へ、凧揚げをしに行く。道中、校長が設計したタバコ工場を見学する。既存のRCの建物の全面にレンガ積造の極厚のファサードを増築したもの。日本ではこういうのはおそらくだいたい鉄骨としばしばガラスで軽く仕上げるだろうが、
それを400厚はあろうかのレンガの壁を作ってその壁厚と同寸法程度の中間の領域を作っているのが大胆極まりない。こんなのもアリなのかと素直に驚く。向かいの東屋はレンガとコンクリートを交互に積み重ねた4本の柱からなる。RCの突起部分はフランクロイドライトの造形にも少し似ている。
村ではすでに多くの凧が上空を舞っている。彼らは朝から晩までタコを飛ばしつづける。なので彼らはどっさりとタコ(一つ20ルピーほど)を買い込む。いつまでタコを飛ばし続けられるかがその家の財産を示しまた忍耐力を示すのだ、と冗談交じりに言っていた。けれどもグジャラートの家々が皆こうしたタコをあげるために屋上のテラスを備えているらしい。一年のお祭りのために屋上をつけるというのがなんとも粋な心の持ち主たちである。自分もタコを揚げてみる。全然上がらない。始めの低空のわずかな風の動きを自分は捉えられないのである。他の村人たちは皆バッとその場からタコを投げるとすぐに風をつかまえ、だんだんと上昇していく。そのタコの動きはなんとなく海釣りの先の操り方に似ている。まるで生き物のように、タコは上空へ遠くへと飛び出す。しかし本番はこれかららしい。他の家の屋上からも同様にタコが上空を舞っているのだが、それらのタコと糸が絡まった時が勝負で、一気に糸を手繰り寄せ、その摩擦で相手のタコの糸を切るのである。その緩急は激しい。周りのやつはイケ!ソコダ!と大騒ぎである。そんな勝負があちこちで起こっている。糸が切れてしまったタコたちはそのままどこか遠くに飛んでいく。足元を見れば電線や樹に無数のタコが絡まっている。掃除が大変そうである。タコフェスティバルに参加させてくれた屋上の家の家主Kaltik氏は写真家で、ここから西にいったJunagadhのジャングルにいって動物の写真を撮っているらしい。なんだか不思議なセンスを持っていた。


夜サパンから「なぜお前はこの活動をやっているのか」と問われる。当然だろう。僕はこの活動によって収益を得ているわけではない。むしろ渡航費やインドでの滞在期間を考えれば明らかに持ち出しでやっている。そしてVDAのメンバーを学生を半ば巻き込んでいるとも言ってよい。けれども、周りからすれば至極奇妙なこの振る舞いであるが、私はある種の確信を持ってやっている。それはヴァナキュラーVernacularといったモノの創作可能性を突き詰めることである。ヴァナキュラーとは単にルドルフスキーが提唱したような土着的、あるいは風土的な建築を意味するのではない。むしろイヴァン・イリイチが提示している言語学的作法、細かな文法的な振る舞いについてを問題にしたいと思っている。極論すれば全地球的な消費経済に囲い込まれる以前の限られた小規模な経済圏で営まれる人間生活を追い求めてみたいと思っている。小規模な範囲での生活の振る舞いは、近接した人々とのコミュニケーションを持ちまたそれぞれの小さな居場所を確保する。そうした生活から生み出される建築、あるいはそうした小さな振る舞い方を備えた建築のあり方に大きな可能性を抱いているのである。
今回のVDAでの課題”New Temple”についても考えは同じである。都市の中のTempleは周囲にcare-taker(寺院を維持する人)や僧侶を住まわせ、また礼拝のための装具や備品を製作・販売する小さな仕事を持った人々もまた周囲に居住する。彼らはTempleという場所を根拠に生活を営み、Templeと周囲の生活者たちは相補的な関係を築いている。”New Temple”という課題は、そうした古くからある小規模な領域性の将来的な展開の径を考える作業となる。Newという言葉と、Templeという古き時間を有する言葉はある種矛盾するものでもあり、過去を掘り進めることで未来を掴み取る、そんなトポロジカルな野心が込められている。そして、小さな経済圏・領域において問わねばならないのが人々の固有の生活を作り出す、細やかな作法からなる建築空間あるいは場所ではないか。

以上のような視点を抱いているのであり、この目論見を前回のワークショップ「Informal school」や、3月にシャンティニケタンで行う「In-Field Studio」での農村リサーチもまた共有している。
とはいえ問題なのは、この散発的な活動の今後の具体的な展開である。継続がまず重要であることは明らかであるが、何か具体的な拠点か団体を組織すべきかもしれない。DSCN6023

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