170130-31 Vadodara

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今週のDedign Studio初日。引き続き各自模型作業を行う。午後、デザインプロセスについて小さなレクチャーを持つ。コルビュジェのロンシャン教会に付随する小さな家、レンゾピアノのビジターハウスを紹介。今回のデザインが既存の寺院のためのものであることを改めて説明(いわゆるリスペクトの念)。その意味で課題は単一のもののデザインではなく、槇文彦が用いたCollective Formのような、幾つかの不完全なオブジェクトの組み合わせであることを伝える。槇文彦は数年前の東京の新国立競技場においてはザハ・ハディドの案に対して異議を申し立てザハを排斥するきっかけを作った。けれども今インドにおいて彼はその立場を逆転させ、インドで開催された国際コンペから排斥される立場にある。そんな渦中の人間のかつての思想を現地で持ち出すのはいささかためらったが、けれどもメタボリズム時代の氏のCllective Formという考え方、造形感覚からは今も学ぶものが多いと思っている。
そしてLe CurbusierのCap Martinの休暇小屋について説明。小空間のデザインとしての一つの参照すべき成果だと思ったため。次にAldo Van Eyckの作品とB.V.Doshiの都市サーヴェイとそのドローイングについて紹介した。どちらも当然であるが、そこに住まう人間の存在なくしてはあり得ないデザインである。一週間前の寺院およびその周辺でのサーヴェイがデザインに繋がるキッカケとなれば良いと思ってのこと。
夕方、今日はシニア・プロフェッサーのEkbote氏の誕生日らしく、校長家族と上級生とで彼の自宅へ行く。自宅はブリックウォールを露出させた無骨なデザインである。が、室内建具の高さを揃え上部のRCのマグサをそのまま壁にモールティングとして回していたりと細かに洗練もされている。ルイス・I・カーンを師に持つエクボーテ氏のキャリアが大きく感じ得ることができた。その後スタジオに戻り、断続的にエスキスをして夜1時終了。

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Studioではだんだんそれぞれのアイデアが模型に現れ始めている。30人ほどが同じ課題をこなしているわけだが当然ながら彼らの感性はさまざまであるので、その感覚をいかにデザインの中で増幅させるかを重要としている。とくに一年生の授業においては。彼らの名前もようやく全員覚えた。インドの人々の名前にしばしば出てくるghや、thやshとかshalとかhalなどの発音が自分にとっては馴染みのないものなので正直とても難しい。けれども、そんな名前の語尾につくような些細な音が現地の言語としてさまざまに使い分けられているのも知るし、そんな言葉の細やかな振る舞いもまたいわゆるVernacularなモノなのだと思う。建築界隈におけるVernacularという言葉の単なる記号的でステレオタイプな使われ方にはかなり不足を感じる。言葉の定義に関心があるわけではないが、けれども建築においては言葉の語尾(ghとかshとか)のような、記号として表象もされないような些細な振る舞い、とくに人間の生活が簡単に組み替えてしまうような細くてか弱い部分にこそ注目すべきではないか。言語が文学を作りその地域の精神を生み出すように、そのディテールから内奥の全体性を眺めてみたいのである。