KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170210 Kolkata-Santiniketan

170210
コルカタの空港で朝を迎えた後、タクシーでHowrah Stationへ。色々試してみて携帯電話はようやく繋がった。South DamDamを抜け、コルカタ市内を移動する。コルカタが持つ都市の廃墟感はインド西部のデリーやムンバイといった諸都市には無い、全く別種の都市のような気がしている。モディ政権がヒンドゥー教グループの圧倒的指示から生まれ、地理的にも政治的にも外様に位置する現代のコルカタはインド独立以前の繁栄の余韻をかすかに残したまさに都落ちの様相を呈している。けれどもそんななにやら時間が止まったような、時計の針が遅れているようなコルカタの都市は自分にはとても馴染む。ハウラー駅で朝飯の卵焼きを食べる。
切符を買ってプラットホームへ。Santiniketan Expressに乗り込む。列車には大体一人のトランスジェンダーが乗っており物乞いをしている。乗客の頭の上でパンパンと手を叩いてなにやらおまじないをしてコインをくれと言ってくる。眺めていると、盲目の人や詩吟を興じる人、子供の物乞いたちよりも多くの金銭を乗客からもらっている。物乞いをする側とされる側との関係には決して画一的ではない様々な因果があるのを改めて知る。都市というものの良い面悪い面双方を受け入れた上で、そうしたある種の都市的周縁の人々と都市の人々の間の境目が微細な襞を持った有機体のようなものとしてその時見えた。

12時過ぎBolpur Satationに到着する。皆ゾロゾロと列車から降りる。シャンティニケタンエクスプレスはほとんどコルカタ-シャンティニケタンの直行便で、プラットフォームには人が溢れる。リキシャーを拾ってVisva-Bharatiの大学へ。ここではいわゆる自転車を人がこいで走るリキシャーとエンジンバイクで走るトト(ToTo)の2種類が主な交通機関である。また多くの人が自転車を使っていてバイクはもちろんいるが車はあまり街中を走っていない。大学までの道中両側に並ぶ小商店を眺める。雑貨屋、金物屋、木材屋、八百屋、服屋おそらくこの道でほとんどが手に入る気がする。ゲストハウスPurbPalliに着く。シャンティニケタンで設計を進めている小建築のクライアントであるNilanjanさんが手配してくれた
場所である。庭園を正面に眺める二階の小室で、こじんまりとしていてとても快適。一階の食堂で昼飯を食べる。昼飯には久しぶりに魚を食べた。

準備をして日本語学科Nippon Bhavanaへ。3月のIn-Field Studioの打ち合わせ。学科長のGita先生に会って日本語で話し合う。日本から持ってきた昆布茶を渡す。先生はいつも忙しそうにしている。続いて日本語学科のAjoy氏、Kala Bhavana(美術学部)のSanchayan氏、Social Work学科長のPrasanta氏、Language学科長のKailash氏他が集まり打ち合わせをする。とてもたくさんの学科を横断してその長たちと話し合うの大変だがありがたい。話し合いの焦点は主に予算についてと、宿泊・活動場所の確認。細かな事務的な配慮が必要である。その後何人かで実際に宿泊場所を確認。Social Work学科が協働しているAmarkutirという郊外の施設を拠点とすることになった。施設はコンクリート造りであるけれども周囲には自然と農村に囲まれている。AmarkutirはR.Tagoreとその息子のG.Tagoreの助力で設立した場所でもあり、当初から農村経済の自立を目指して手工芸の生産販売拠点を作ってきた。製品の販売所とワークショップ工房が一体となった場所である。染色工房テキスタイル工房そしてレザー工房がある。またIn-Field Studioが取り組むKheladanga VillageはAmarkutirから歩いていける場所なので、拠点としては最適だと思う。シャンティニケタンの中心からは外れるが、タゴールが農村と具体的関係を結んできたSuriniketanとその郊外に位置する場所であるのでその意味でも理がある。
日本語学科に戻りGitaさんとやり取り。明日までに予算書と概要を再度まとめて打ち合わせをすることになった。

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