KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170211 Santiniketan

170211
朝、電話がありゲストハウスにMilon Dutta氏が会いに来てくれる。朝食をとりながら彼が参加していたポンディチェリのワークショップの話を聞く。泥を使った版築の実験について。オーロビルには一度行かなければと思っている。
11時、予算書などをまとめて日本語学科へ、Ajoy氏と相談する。おおよそ内容は決まった。そのあとKala Bhavanaへ行ってSanchayan氏と会い期間中の活動と特にレクチャー講師陣について具体的内容を詰める。Art Historyの先生とGeographyの先生を紹介してもらい、彼らにも講義を頼むことになった。Kala Bhavanaでは広い工房と広場を持っていて、シャンティニケタンの気候も含めてとても制作に望ましそうな場所で羨ましい。そしてここにはあまりFine Artは無さそうだった。そんな場所との調和も感じられた。将来的な活動の展開として滞在型の制作の拠点として機会を提供できるとも提案された。

2時頃、一人でAmarkutirを訪れる。それぞれの工房を観察。使える道具などを調べる。レザー工房は広くてたくさんのミシンがある。中でレザーの端切れをもらう。端切れがあちこちに溜まっていたのでコレは使えると考えた。産業化しつつあるAmarkutirの工房の余剰物、そこに歴史的背景を読み取ることができる。歴史の読み取りは、創作(工作)のための貴重な糸口をあたえてくれる。
歩いてKheladanga村へ。道中にはとてもきれいな田園が広がっている。車はほとんど通らない道である。穀物を刈り終えた田んぼと緑が生い茂っている田んぼが混在している。どのように一年のうちで使い分けているのかはよくわからない。刈り終えた田んぼでは牛やヤギが雑草を食べいる。牛やヤギの茶色と黒と白、人々の赤青黄の服装が緑の田園の風景の中に点在している。この静かな風景が農村の日常を包み込んでいる、ということは意識したい。15分ほど歩いてKheladanga村に着く。村の手前には一つの広場があってそこから道は二つに分かれる。一方はKheladanga村へ、もう一方は別の村へ続いている。おそらくこの広場は共通のお祭りなどをやるための場所なのだろう。Kheladanga村は全長50mほどの一本の道が村の軸となり両側に民家が点在している小さな村である。道には子どもや子犬、子ヤギが歩き回っている。ここもまた静かだった。子ヤギや子犬たちには朱色のリボンが結ばれている。おまじないだろうか。彩色豊かな門構えを持つ家もあれば、道に庇を伸ばしてその下でニワトリを飼っている家もある。多くの民家が内庭を持っていて牛が寝ている。村の中心付近にはすこし開けた場所があってそこにも牛たちが横たわって寝ている。内庭にいる牛たちと村の広場で飼われている牛たちの違いは今はよくわからない。なにか有機的な境界が引かれている気もする。

村からゲストハウスへ戻る。夕方、しばらくしてNilanjan氏とMilon氏が迎えに来てくれる。日本からはるばる持ってきた模型を抱えて、車で敷地へ。敷地には去年の9月以来の来訪である。模型を取り出し、敷地に置いて建築の位置と大きさを確認。今すでに整えられている庭園を損なうことなくほぼ中央に建築を建てるので建築の姿は庭園の植物に隠れるようになるだろう。その方が良い。この建築の躯体はレンガとRCの混合で、インドでの気候とセキュリティの問題もあって外に木造、木の仕上げが出てくることがほとんど無い。その代わりにベンガルの赤土を素とする塗り壁(Rammed Earth)が外装の主な仕上げとなる予定。木の架構と設えは室内の一部の要所で用いる。大江宏は香川県文化会館の設計の際に「混在並存」という言葉を用いていたが、その混在の仕方はRCと木造それぞれの構造体が入れ子状に組み合わさってそれぞれが独立した架構を形成し、「並存」していた。日本とインドの異なる地域圏の同時表現を考える上で習うべき先例である。うまく事が進めば、一人の日本大工にこの建設に参加してもらうことになりそうである。かつて同じくシャンティニケタンを訪れ大工・造園技術をその地に残したKasahara Kintaroの仕事に1世紀遡って接続してみようということである。IMG_20170211_172817

*Project Site in Santiniketan

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