KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170302-05 Delhi-Tokyo

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早朝リキシャで空港へ。バローダからデリーへ移動する。オールドデリーのKhari baoliというマーケットへメトロで移動。日本に買って帰るスパイスを買うためだったがそんなに安くもないし、小分けがあまり用意がなかったので、仕方ないのでいつも行っているニューデリー駅横のメインバザール脇のスパイスショップへ向かう。いつも通りお爺さんの店主がノソっと店の隅で待っている。そこでターメリック、チリ、ガラムマサラ、ジンジャーなどなど(名前は分からないが他にもたくさん)を数袋ずつ購入。ここがどうも他の店よりも少しだけ安い気もする。途中で雑貨屋があったので覗いてみて葉っぱの小皿を購入した。40枚くらいで80ルピー。その後デリーに戻りながらくロビーで待機。深夜飛行機に乗る。

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寝不足だったので、なんとパソコンと携帯を搭乗ゲート横の充電台に置いてきてしまったらしい。さすがに焦ったが経由地のバンコク空港でたらい回しにされながらなんとか現地デリーの空港の担当者へ連絡をとってもらう。パソコンが手元に無くなってしまったので、とりあえずまあいいかと空港でタイ料理をいろいろ食べる。搭乗ゲート前で寝ていたらなんと従兄弟に会った。彼はバンコクへの出張だったらしい。なかなかの巡り合わせである。機内では久しぶりに映画を見てみる。アメリカ独立期の黒人の話と、ナチス下のドイツでの工作員の話の二つ。タイトルは忘れてしまったがどちらもなかなかに揺さぶられる映画だった。これを国際線の飛行機内で観るという、なにやら切迫した気持ちを一人勝手に背負いこんでしまった。けれどもこの小旅を締めるには、というか単なる旅ではないものにするには良いインプットだった気もする。

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日本での朝。静かだなあとボケてしまう。なにしろ町をウロつく人も少ない。寒いからだろうか。そうした都市の雰囲気はけっきょく素朴な理由に行き着く気もする。夜、向島へ。歓藍社の東京展示と改修された長屋を見学する。中で3人のIn-Field Studio参加予定者と話し込む。言葉足らず情報足らずでよくちゃんと集まってくれたなと率直にその決断力に感心する。彼らにインドでの活動の意図を必死に説明するうちに、文字や文章ではなく話言葉が持つ独自の表現、あるいは固有の論理が生まれていくのを感じる。会話は当然ながら即興表現の最たるものだが、即興さ反応反射の即時性から出てくる言葉から言葉へのジャンプ、論理のリズミカルな展開の現場は、自分にとっても大きなチャンスである。

170305
主要なパソコンと日本の携帯電話が手元から無くなってしまったので、一人で町を歩いている時には未だ国外にいるような感覚である。そんな感覚を抱いてしまう自分自身の機械依存的な卑小さを感じながらも、同時にインドと日本と気候風土は違えど、会って会話をする人間が周りにどれだけいるかで自分の居場所がどこなのかを決めているに等しいことにも気づく。時間を経るごとに、故郷、家郷というものは一つに定まっていくのではなく世界の複数の場所に散在し出すのかもしれない。となれば、例えばインドの家郷を日本にいる自分が構想することも可能なのだ。逆も然り。
なぜ自分は大きな労力をかけてインドに行くのか。それは複数の家郷を持とうとしているのだろうと考えるようになってきた。そしてなぜ日本の江戸に興味が向かっているのか。それもまた別種の家郷の捜索に他ならない。通時的かつ共時的に首だけでなく手足を突っ込むよう精一杯体をダイノジにして広げてみているのが今の自分であるかもしれない。

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