KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170221 Rishikesh

170221

デリー空港からRishikesh行きの飛行機に乗る。

プロペラ機のようなとても小さな飛行機。航空会社はSpice Jetというイカした名前をしている。50分ほどでDheradun空港に到着。山に囲まれ空気の澄んだ場所である。標高はおそらくけっこう高い。ヒマラヤにほど近いインド北部に位置するRishikeshはかつてのThe Beatlesがヨガの修行をやった地としても有名で、山を切り開くように渓谷となって流れるガンジス川に沿って数多くの修道場と寺院が集まる場所である。あいにく今の自分はあまりYOGAの瞑想には興味が無いので、今回はその聖地には行かずに空港近くのホテルに立ち寄り荷物を置いて、早速Maki Textile Designの新工房「Ganga Maki Studio」へ。タクシーの運転手をあっち行け、いやコッチだ、などとナビしながら向かう。新工房はRishikesh中心部からはいささか離れた郊外にある(地域的にはDheradunか)。民家と畑が交互に現れて緩やかに登っていく細道を抜けてしばらくしてスタジオに到着する。オープニングセレモニーをやるとのお知らせを年初めに聞き、今回バローダから飛行機を乗り継いで向かったわけだが、自分はインド国内からの出席なのでとても近場の来訪者のようだ。多くの人が日本からはるばるやってきている。布やファッションの関係の人々も多い。

新工房はムンバイに拠点を置くStudio Mumbai Architectsの設計である。日本ではまだ実作は無いが、数年前に東京のギャラリー間他で展覧会が開催されており、その展示物の特に木の加工の精度の高さと使われている材の硬さにびっくりした記憶がある。

新工房は背後に横に長い小山を背負い、傾斜する広大な敷地に沿って幾つかの建物が配置されている。一本の坂道を軸として両側に建物が並び、登った先には工房の人々が住む宿舎が並ぶ。高台に建つ宿舎からはリシケシの盆地を一望できる巨大な風景が広がっていた。宿舎の各部屋は横並びになって石造の縁側で繋がっている。縁側は地面から600mmほど上がったところにあり、およそ150mm角程度しかない石の柱で石の扁平梁を支え、さらにその上に同種の石の薄板が屋根材として敷かれている。この詳細にはいきなり仰天した。扁平梁と柱の接合部は初歩的な組手で納められており、寸法は明らかに木造のそれである。が、この扁平梁は400*30mm程(正確に寸法とれず)という木造の架構ではまず不可能な奇妙な造形で、その上にただ石板が並び載っているだけなのだ。石という重い素材でなければ、この「ただ置くだけ」という淡白単純なディテールは生まれないのだろう。モノとモノの単純な接合はそれらの物質の重さを消し去り、量塊の浮遊を際立たせる。ギリシャのパルテノン神殿然りの石造による木造架構の模倣かとも考えたが、空間のスケールはパルテノンのようには全く逸脱していない。なんとなく、木造の架構に見えたのは単なる寸法の近さだけでは無さそうで、素材の重さと接合部の納まりの関係が生み出すある絶妙な力学(物理的なというより美学的な)がその架構に独特の浮遊感を与えているのかもしれない。ミース・ファンデル・エ・ローエがバルセロナ・パヴィリオンでやった、巨大な地層的断面を露出させた大理石の薄壁における石の模様と目地の万華鏡的関係に近しい。素材が本来持つ暴力性をいかに統御するか。スタジオ・ムンバイは素材への関わり方の原理を、こんな実践の中で掴かみとっている 。

坂道に面する建物の通路を抜けると、四方を建物で囲まれた中庭がある。周囲の建物の屋根は中庭に向かって軒を下げ、その中庭の地面もまた傾斜にそって窪み、建物と建物の間を抜けて下の斜面に続いている。大地と雨水の流れに沿った率直なデザインである。下の斜面に続く細道は西面し、夕方には下からダイダイ色の柔らかな陽の光が細道を抜けて中庭の地面を登ってくる。素朴さと崇高さを紡ぎ合わせたかのような、あるいは素朴と崇高が表裏一体となった、そんな場所であった。勾配を急にしている屋根材は、ここでは金属板の竪ハゼ葺とポリカの波板、そして一部に藁葺きの組み合わせである。隣の石板葺と並ぶといささか拍子抜けするような珍妙な構成であるが、どちらも現地では安い素材という意味で共通している。論理の物足りなさというよりかは、各所における緩急のついた論理の深度の振れと合理的判断の両者を同時に鑑みるバランス感覚が敷地全体に貫徹されているのを感じた。それは、ともすれば無配慮無頓着が生み出す偶発のもののようにも見えるが、大工が作った建物を納得するまで何度もやり直させたスタジオ・ムンバイの核、ビジョイ・ジェイン氏による現場での決断の積み重ねによる必然の状況なのであろう。

 

先ほどのポリカの波板でできた軒屋根は極太の竹の架構で支えられている。接合部では金物は一切使わずに径2-3mm程のオレンジの細紐で丁寧に緊結されている。荒々しいかつ簡素な素材の扱い方として、ある種のモダンな要素を付与するこうしたデザインが有効なのは確かであろうが、この軒はそれだけで終わらない。軒の先端に目をやると竹を半割にして作った雨樋が取り付いており、その雨樋を支持する部材がとても奇妙な造形をしている。太竹を加工し手桶の取手のような部分を突き出して、まるで巨大な昆虫が勢い良く外に飛び出すかのようにポリカ屋根下に並んだ小割りの竹に括り付けられているのだ。先ほど、「素材の暴力性の統御」という言葉を書いてみたが、この雨樋支持のディテールにおいては、素材の暴力性を造形によってより増幅させ、あたかもその暴力がその部分になければならないという必然を帯びさせることで、自然の理の如きモノの根元的な在り方を模索している。

 

そしてこの軒屋根廻りで最も鋭い仕事をしていたのはなんといっても梁竹の端部処理である。一見ただの無垢の丸太だろうと見えていた梁の木口は、なんと穴の空いた竹に別の竹の塊を叩き込んだものであった。構造材の木口をどのように表現するかは素材間、部材間の自由な応答関係を実現しようとする作家にとって見過ごせない部分である。建築はすべからく有限の材料の量と種類の組み合わせによって生まれるわけだが、材料の切り出しはそうした有限性の設定であり、材料の切断面一つをとっても、その作家の素材との格闘の有様を窺い知ることができるのだ。始めから無垢材を叩き込もうと考えていたのか、それとも架構の出来上がりを見た上で場当たり的に叩き込んだのかはわからない。けれども結果として、無垢片を叩き込まれた竹材は本来の竹に抱く空洞の観念を消し飛ばし、どっしりと重い架構のフィクションをそこに現出させている。野暮な素材を相手に頑なに批評的な眼でもって繰り返される様々な試行錯誤がこの新工房には横溢していた。

スタジオ・ムンバイの仕事は、しばしばインドの手仕事の濃密さや、インドの粗野な風土から抽出される洗練のデザインとして形容されがちである。けれども今回の訪問では、「インド」という分厚いヴェールを剥ぎ取った先にある一人の作家の生々しいマテリアルとの応酬の様をこのプロジェクトで目撃した。ようやく、自分自身からも異なるものとしての「インド」が脱色され始めたのかもしれない。

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