KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

170429 Lhasa

170429
朝ラモチェ(小昭寺)へ。チベット・ラサは、そもそも7世紀初めにソンツェン・ガンポがチベットを統一し王宮を作ったことに始まる。
ソンツェン・ガンポは唐から文成公主を妃として迎えた際、彼女が12歳の仏陀の等身像である釈迦牟尼像を持参し建てられたのがラモチェである。ラモチェ本堂はそのため長安を向いている。一方、ネパールのカトマンズから嫁いできたティツン王女が12歳の釈迦牟尼像を持参したが、その後池を埋め立ててジョカン・テンプル(大昭寺)(ジョカンはカトマンズを向いている。)ができ、唐からの釈迦牟尼像はジョカンに移され、代わりにカトマンズからの釈迦牟尼がラモチェに祀られたとされているらしい。
ラモチェの本堂は3重の入れ子になっており、四天王が入り口に聳え立った先にある本尊である釈迦牟尼像のスペースは一番奥にある。
釈迦牟尼像は山サンゴやトルコ石、ダイヤモンドそして金が沢山付いた装飾を身にまとっている。我々が参拝したときにはちょうど信者が金粉を寄付して本尊にその金粉を塗る作業がなされるときであった。その手前に大きな収納を挟んでラマと僧侶たちが集う法要のためのスペースがある。信者はその周りを右回りに巡礼する。さらにその外側はグルリと回廊が廻っており、無数のマニ車が置かれている。バターを燃料とするチベット独自の灯明がかつては堂内に多数置かれ、壁画はその煤と油で真っ黒になっていたそうだが、現在はそれが禁じられて灯明は本堂の隣に併設された専用の建物内で焚かれている。(ちなみにチベットでは菜種での燈明焚きは仏を汚すという意味があるらしい。)
本堂正面はヤクの黒い毛で作られた巨大な垂れ幕がかかっている。外壁は大きな石とその隙間に小さな石を挟み、間を土あるいはモルタルで埋めている。
午後はセラ・ゴンパへ。北部のラサの外にあり、山を間近に置く。その山の中腹には別の寺院(パボンパ・ゴンパ)がある。セラは河口慧海が修学・滞在した寺である。かつてセラの大学には5500人もの修学僧侶がいたとされているが、現在は500人程度だそう。大集会殿の横には大きな銅鍋が4つ置かれている。かつての僧侶たちの飯炊として使われていたらしい。飯と言っても麦粉とバタ茶を混ぜてこねて作るティンパ(河口慧海は麦こがしと呼んでいた)という団子のようなものとヤクの生肉が彼らの主食だったという。
その殿の奥には鳥葬のための高台がある。チベットの葬式は大きく5種類あり、ラマや高僧たちのミイラとなって廟となる形、そして高台でハゲワシに肉体を喰わせる鳥葬、さらに下位の形式として火葬、水葬、そして土葬があるという。(今も土葬がやられているのかはわからない)
「土葬は通常の病気で死んだ時分には誰でもやらないです。チベット人は非常に土葬を嫌う、ただ天然痘で死んだ時分だけ土葬にするです。それは鳥に与れば伝染の憂があり、また川に流せば他に伝染の憂があるというところから許されないのです。火葬はまあ良い方ですけれども、殊に薪の少ない所でもありまさか屍体をヤクの糞で焼くことも出来ませんから、それで火葬は余程上等の人でなけりゃあ行われない。水葬は大きな川の辺では大抵行われるです。それも屍体その儘川の中に放り込まない。屍体の首を切り手を切り足を切り、みんな切り放して流すです。そうするとあっちの洲に止まりこっちの崖に止まることもなく、魚もまた食い易いからということであります。」(『下』)

大岩にはタンカが描かれている。
3時になると境内に鐘が鳴り響き、僧侶たちが広庭に集まる。問答修行始まる。僧侶が二人一組になって、一人は座り込みもう一人はその前に立ち、問者はエイヤーと手をたたきいて問を繰り出す。その動きは激しい。
「今問者が言葉を発すると同時に左の足を高く揚げ、左右の手を上下向い合わせに拡げて、その手を拍つ拍子に足を激しく地に打ちつける。その勢いは地獄の蓋も破れようかという勢いをもってやらなくてはならんというのであります。またその拍った手の響きは、三千大千世界の悪魔の胆をこの文珠の智恵の一声で驚破する程の勢いを示さなければならんと、その問答の教師は常々弟子達に対して教えて居るのです。そこでその問答の底意は、己れが煩悩の心を打ち破って己れが心の地獄を滅却するために勇気凜然たる形をあらわし、その形を心の底にまで及ぼして解脱の方法とするのであります。」(『チベット旅行記 上』)

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現代の僧侶の彼らも慧海が記述したごとくに溌剌としている。問答の広場は大勢の僧侶たちでごった返し、とても賑やか。特に年長者の僧侶の方が明らかにやり取りが激しい。次第に周囲の者も交えての議論となっている。その様子は日本の僧侶の修行とは大きく気質が異なるもので、こちらのほうが余程健康的だなと思った。彼らのエネルギーにつられて、自分もスケッチを走り描く。
夜、シャンティニケタンの計画の構造図が先方から来たので詳細をつめる。簡易な構造で、特に天井は仕上げによって隠さないので間仕切りの変更が若干必要になるかもしれない。

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