KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

Project in Santiniketan インド・シャンティニケタンへ同志を募って家を作りに行く / India

 

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Interior model

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Exterior model

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Drawings

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Model of furniture

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Exhibition in Tokyo ( SD Review 2017)

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Construction / photo: Nilanjan Bandyopadhyay (May, 2017)



Project in Santiniketan / インド・シャンティニケタンに同志を募って家を作りに行く

シャンティニケタンを訪れるようになったのは、数年前から私がインド西部のVadodara Design Academyという小さな建築学校で度々教えていることがきっかけである。その活動の展開として、今年シャンティニケタンで「In-Field Studio」という国際ワークショップを開催することになったのだ。その準備の最中にインターネットを通じて一人のインド人から突然連絡があった。シャンティニケタンは小さい町なので、おそらく私が訪れたのをどこかで聞いたのかもしれない。彼は詩を生業としていて、かつて日本に住んだこともあり、自分の故郷シャンティニケタンに「日本の家」を作るのが夢であると言う。すでに土地を購入しており、日本にも馴染み深い柿の木や夏みかんなど様々な植物が生い茂る秘匿の庭をコツコツと作っていた。シャンティニケタンは高温湿潤の土地で、雨季乾季の差異はあるが一年を通じて日本の春から夏の間のような気候であるから植物の生育は盛んである。私は何回か現地を訪れて彼とやり取りをし、その庭の植物を残しながら敷地の中央に四間四方の家を作ることとなった。

計画している建築は正方間取の田の字型平面で、当初は木造を目指したが、現地の職方の技術の素朴さと気候の湿潤さゆえの虫の被害を考慮して、躯体は鉄筋コンクリートとレンガで造るものとした。外壁は全面を荒い塗り壁とし、内部の造作においてのみ木を使用することとなった。

ここで、あらためて施主の言う「日本の家」とは何なのかを問うてみる。彼と私の間には当然「日本の家」のイメージに大きなギャップがあるはずだ。このギャップを埋めるのはほぼ不可能であるし、またそもそも「日本の家」なんてものは一つの像として定まるはずのないただの幻影でもあろう。そもそも私は「日本の家」なんてものを考えたくもないのだが、やはり日本からインドにやってきたからには半ば宿命的に背負わなければならない私自身の帰属の問題でもあることを痛感した。

 

シャンティニケタンは、アジア人初のノーベル賞を受賞した詩人ラビンドラナート・タゴールが1901年に小さな学校を創設した場所である。イギリス統治下にあった当時のインドにおいて、タゴールは民族的自立と全人的教育を求めて、先生と学生をあわせて僅か10名程度の学生と先生でその学校を始めた。不毛の地であったシャンティニケタンに植樹をして森を作り、自然の中の樹の下で学生と先生が円座して授業は行われた。タゴールは民族主義と国際主義の間の癒合をこの学校の実践において取り組もうとした。学校では古代インド文化を発想の端緒とし、地元の言葉であるベンガル語が用いられる一方で、国外から多くの指導者が集まり、日本からは仏教家、柔道家、そして芸術家といったさまざまな人間がその地を訪れた。岡倉天心もまさにそのころ、英領インドの首都カルカッタに滞在して『The Ideals of the East (東洋の理想)』を執筆し、シャンティニケタンにも訪れタゴールに会っている。近代の日印交流、特に日本とベンガルの文化的交友はこのころから始まったのであろう。

シャンティニケタンを訪れた日本人の中に、カサハラ・キンタローという一人の大工がいた。彼の目的は、釈迦の悟りの地として知られるインド北東部の聖地ブッダガヤの修復とその調査であったが、道中のシャンティニケタンに立ち寄った。当時タゴールは周辺農村の自立復興のため農村の人々に木工技術を教えることのできる人間を探しており、そこでカサハラが抜擢された。彼は木工だけでなく日本の庭作りも教え、シャンティニケタンのタゴールの家にはカサハラによる内装と日本庭園が残されており、郊外の森の中には瞑想のためのツリーハウスを建設している。

 

私はおよそ一世紀前にあったこうした出来事から家作りの構想を始めた。先人の取り組みの数々が実践のための得難い想像力の萌芽となる。使命と探究心を携えてインドへ向かった彼らの行動に倣い、自分自身が日本とインドの間を行き来する移動の軌跡(経験)自体を建築として具現化できないか。岡倉天心が「アジアは一つなり」と宣言し、中国やインドに赴き現地の人々と思想を交わすことで「アジア」というフィクショナルな領域のフレームを仮構したように、「日本」とは何かを悶々と立ち止まって考え込むのではなく、シャンティニケタンのこの計画で日本とインドの間を巡る自分自身の旅を一つの物語として建築の中に架構してみようと考えた。であれば、その物語の登場人物が多いに越したことはない。小さな旅団を形成しようと思い立って、友人である日本の大工らを誘い、共にインドの現地に行って滞在し、家作りをやろうとなった。

日本建築の原理である野物と化粧、つまり構造材を含む下地と仕上げが連関性をもって構築されるシステムに対して、インドの職工が作るコンクリート+レンガを野物とし、日本の大工による内部造作を化粧として組み立てようとしている。本来、野物は化粧に隠されるものであるが、ここでは化粧である内部造作それ自体がシステムを持って必ずしも野物を隠さない。コンクリート+レンガに対して内側の木の造作は隙間をあけて組み立てられる。入れ子というよりはむしろ、「日本」という正体不明のとりあえずの本尊を匿う厨子と、それを覆う鞘堂の関係だろうか。

建築の中心にコンクリートの扁平柱を据え十字に梁を架けて内部全体を構成する。田の字型平面は日本では農家などに見られるものであるが、内部造作である木造の立体架構は、RCの躯体とともにその小屋組の表現と内部空間の分割/連続に加担する。また躯体工事中は日本からメールなどでの遠隔的なやりとりをしている。造作の一部は日本で制作し、ノックダウン方式でインドへ持ち込み、現地で制作された別種の部品とドッキングさせるつもりである。内装工事の段階で日本からいくらかの木材を持って大工と共にインド現地に入るので、私たちの身体とモノの居所と移動の順序もそのまま建築に現れ出ることになるだろう。

工事は目下進行中であるが、デザインの変更作業は絶えることがない。毎日何枚も現場の写真が送られて来て、こちらからも何枚も修正した図面と模型写真をメールで送り続けている。場当たり的かつ柔軟すぎるインドの現場には驚くばかりであるが、ともかくこの応酬は完成するまで続くだろう。内部工事は今年末あるいは来年始からの予定だが現場に行くのが楽しみでしょうがない。

 

2017年9月

佐藤研吾

>Process

>Drawings


Site: Santiniketan, Bolpur, West Bengal State, India.

Structural system: reinforced concrete + brick, wooden frame (interior)

Function: house, studio

Site area: 260.12m2

Built area: 51.84m2


Client: Nilanjan Bandyopadhyay

Design partner: Milon Dutta

Construction partner: Kazuhiro Aoshima

Cooperation: Sayuri Hashimoto, Rika Ebihara

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