KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

北千住Buoyから「家」について (小文)

最近ようやくと言ってもいいほどノンビリと、東京での幾つかの仕事が動き始めた。北千住のBuoyのアートセンターの改修では、工務店にお願いしている壁立てが終わったところから幾つかの建具工事がある。建具は建物の中でも特に使う人間にとって近しい存在だ。特に電気仕掛けを仕込んでいないので、人々はその扉の把手を掴んで開ける。私たちがやる工事は、その身体の動きに特化したモノだとも言える。動くモノ、可動機構は建築の中では最も脆弱な部分の一つだ。何年か使っていくとバカになってしまう。けれども、どんな風にバカになるかは使い方次第でもある。そして使いながら微調整をして、直していけば何とも逞しい立ち振る舞いをする建築の部分でもある。家具や手すり、あるいは種々の造作部分も同じである。今回の工事ではそんな微細部分も担当する。使う人が手を触れて、油が付き、摩耗しても、その変貌の有様はその場所に背負い込まれる小史を表現し得る。

多木浩二はそんな表象体あるいはその現場を「生きられた家」と言い表したが、その著作の中では至極当たり前のことが清々しい言葉の群によって言い紡がれている。けれども、多木はその著作の中では住居についてだけに言及していたと記憶しているが、仮に議論を住居の外側の都市へと飛び出させて、けれども「家」という言葉を頑なに使い続けてみても良い気がしてきた。つまり「家」という言葉が表し得るその空間、現場の内実に厖大な世界をみてみたいとも思っている。扉一枚、あるいは手すり一つ、椅子一個に対して、それらは「家」である、と言わしめるデザインはあり得ないだろうか。都市-建築-家具という紋切りのスケール区分ではない、内-外の境界論でもない、空間論とは無縁な、「家」という異種の創作論を構想してみたい。
かつて伊東忠太がArchitectureの日本語訳として建築という言葉を造語し、建築学会が発足した。けれども、建築という言葉以前にそれが指すところであった、「造家」とはなんであったのだろうか。作事や普請などの言葉も近世期にはあったが、明治初期にドタバタと生み出された造家という言葉は、無配慮故の偶有な可能性を持っているのではとも深読みする。明治初年の面白さはそんなあたりにもあるのだが、ともかくそんな偶有・偶発なモノ・コトのあり方はそろそろ再浮上すべきではないか。

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(Bar table, wood, 3000*900*1200 / 佐藤研吾、青島雄大)

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(2 tall Doors /  H:3600 W:700)

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(Photo / 22nd Jul, 2017)

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