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室内家具をすぐさま入れ替える職人さんら

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玄関扉を製作する大工さん

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朝6時ごろ目がさめる。早速、昨晩動かした一階の様子を確認する。東に向いた庭に面する大窓から長い光が差し込んでくる。ダイニングテーブルの代わりに置いてみた仮の座机の上を屈折して光が伸びている。仮の机の高さは360mm。座布団を置いて作業を始める。机の幅は400mmちょっとは必要だろう。
9時ごろニランジャンさんやってくる。昨晩いろいろ動かしてみた配置を説明してみる。はじめは困惑していたが、ダイニングテーブルを二階に持って行き代わりに一階には長い座机を新たに作ることになった。とりあえず家作りにおいて一矢報いたの感がある。
ダイニングテーブルを半分に切るのはどうかとも提案してみたが、どうやらあまりそういうことはしたくないようでもあった。だんだんと、彼とのやりとりのリズムが見えてくる。

このやりとりが終わるのを待っていたかのように、額装屋さん、電気屋さん、家具を動かす人二人、そして大工さん一人が現場にやってくる。ニランジャンが昨日アレンジしたものである。ものの30分ほどで、作業は終わる。動かしたのは次の通り。
・二つあった「心」の大きな書画を一つにして、床の間横の書画を二階の寝室に移動
・扇風機を二階に移動
・ピアノを階段下に移動
・茶道具入れを中央の壁柱脇に移動
額装屋さんと一緒に朝食をとる。大工さんは庭で玄関の観音扉を作っていた。
11時過ぎ、現場を出てVisva-Bharati大学の芸術学部であるKala Bhavanaへ。Assistant ProfessorのDharitri Boroさんとミーティング。彼女は今年3月のIn-Field Studioでも一緒にワークショップのサポートをしてくれた。今回の滞在中もまた何がしかのワークショップを企画したいと思って、まず彼女に相談してみた次第である。今月末あるいは来年初めから同じく現場にやってくる、日本では歓藍社で一緒に活動しているファッションデザイナーの渡辺未来さんと、修繕デザイナーのはしもとさゆりさんを中心に、Kala Bhavanaと共同して服作りをやってみることを提案した。Kala Bhavanaにはファッションデザインの専攻はないが、むしろその方が好都合で、テキスタイルと染めをやっている学科があるので、特に彼らとやってみることになりそう。ひとまず企画書を作成して明日メールで送ることになった。

昼、ニランジャンさんの実家へ。冬休みでコルカタからきている彼のお姉さんの息子リックと世間話をする。彼は高校生で、エコノミクスの勉強をしているらしい。しばらくしてニランジャンさん戻ってきて昼ごはんをいただく。昼食後、一緒に現場の家へ帰る。庭で扉を作っている大工さんの作業をみる。釘は使わずにホゾを切って扉を組み立てている。ホゾ穴をあけたメスの方の材の残りが2mm程度しかなく、それにホゾを差し込んで組んでも材は弾け取らない。日本の木組みの感じとはおそらく大きく異なる。表面はプレーナーとグラインダーで仕上げ、カービング用の彫刻機も自前のものを使っている。とても参考になった。
夕方、ミロンさんやってくる。室内の空間と設えについていろいろ相談する。暗くなってミロンさんにバイクに乗せてもらい、駅の方の道具屋へ。日本の金物屋と同じく、ネジ、クギ、大工道具、電動工具がところ狭しと並ぶ。今日昼に見た大工さんの作業を思い出して、とりあえず手道具(何種類かのノミ、ノコギリ、砥石)を購入。電動工具は値段だけをおおよそ確認して、必要があればまた検討してみることにする。

夜ニランジャンさんの実家へ。彼とあの家について数時間ほど話し込む。このプロジェクトにかかるお金の話もする。「日本の家」とは何か、という話にもなる。私はそれは分からない、あるそすれば「日本の家」というものを試行錯誤するその過程だけだ、と正直に答えた。ニランジャンさんは、日本とは’Emptiness’だと言う。たしかに間違っていない気もする。けれどもそれはある一断片でしかなく、その答えはあくまでも仮説としておき、破壊と再構築を繰り返すしかないのではないか。正直なところ、私からすれば、彼が「日本」を追い求めようとするその情熱とその家に現れいた表現、そしてその姿勢自体に、とてもインドのような香りを感じる。一方で、日本からやってきた私は、インドに何かを求めてやってきたのだ。その倒錯した関係の中で、この建築は作られようとしている。これには自覚的でありたい。

夕食をいただき、現場へ戻る。明日、早朝には列車にのってコルカタに向かうので、荷造りをして就寝。