171213-171214 Kathmandu Kirtipur

DSCN8032キルティプールのストゥーパ

171213 Kathmandu
朝起きて朝食を食べに宿を出る。今日の夕方、石山修武さん、木本一之さん、そして日本からやってくる渡邊大志さんと合流する。夕方までカトマンズのカフェに入り浸り、作業。シャンティニケタンの家の完成会(オープンハウス)について、諸氏に連絡をする。
その後、空港へ。渡邊大志さんとまず合流し、カトマンズ東端にあるボダナート寺院へ。寺院はすでに閉まっていたが右廻りにまわる境内で木本さんと石山さんに無事に落ち合う。すでにいろいろスケジュールが決まっているらしく、寺院裏のある通りへ。その通りの中程にある一つのギャラリーへ。ギャラリーの運営者、そしてアーティストでもあるLAXMANという方と面会。彼の作品を見せていただく。社会批判を一貫してテーマとする絵画を制作している作家で、彼の作品の日本でのプロデュースを試みることになったが、さてどうすればよいだろうか。

以降のネパールの旅路については、石山修武さんの日記あるいは今後の著書でいずれ書かれることだとは思うので、詳細なことはここには記さない。どうやら、幾つかのプロジェクトが生まれつつあるようである。
カトマンズを出て川を渡り、パタンへ。MahaBuddha Guesthouseというところに泊まる。

171214 Kathmandu Kirtipur
朝、キルティプールへ。トリブヴァン大学を抜けてキルティプールのはずれの丘へ。その後、移動してかつて石山研が調査ワークショップを行ったエリアへ行く。西のシヴァ神殿と東の5つのストゥーパに挟まれたエリア。ある広場を実測する。
その後スワヤンブナート寺院へ。山の頂にある寺院でそこからはカトマンズ盆地が一望できる。続いてブッタニルカンタへ。石山さん曰く、ドイツがこの場所を修復したらしくその際水の上に寝転がっているブッダの巨像の横に生えていたピポリの木を切ってしまったらしい。次にパシュパティナートへ。ヒンドゥーの聖地である川沿いの寺院。すぐ側にマザーテレサの修道院もあった。川はインダスの源流の一つでもあり、これが下流のバラナシへも続いている、ということになる。
パタンへ戻る。パタン市内を回る。数年前の大地震の影響は未だ色濃く、頬杖を道路から出して躯体を支えている建物も少なくない。パタンの王宮は木造とレンガのハイブリッドの構造で、特に軒の出を支えている斜材に刻まれた装飾がすごい。これは材が硬いからできる装飾表現でもある。
宿に戻り、宿の向かいの仏教装具屋さんへ。止まっている宿のオーナーの兄弟でもある。この通りはネワールブッディストらの集まりだという。石山さんはそこで幾つか制作をしていた。インドから部品を持ち込み、またその装具屋の既製物に新たな形を組み合わせている。自分がインドでやろうとしている家具の組み立てにも通じるところがあると感じ、やはり石山さんから教わったものは多いなと改めて考える。

ロキシーとバッファローの肉、そしてじゃがいもをいただく。ネパールには4つの仏教グループがあり、一つはスワヤンブ寺院系のチベットから来た宗派とボダナート寺院系のもののネワール宗派だといっていた。チベット仏教は肉を食べるが、ネワール仏教はバッファローの肉だけをあるいは鳥肉までを食べる。またネワール仏教の人々は集まって住み集落を作る。一方ヒンドゥ含む他の宗派の人々はそうでない場合もあり山間部に散在して住んでいる人々も多いという。この宿がある通りもその集落形態である。そしてこのグループから先日の選挙では有力なポストにつく人が出たらしい。選挙の争点をたずねれば、やはり水道電気のインフラであるらしい。それらのインフラを整備して改めて道路を整えることで、自動車の通行による埃、粉塵は減り、道路周囲の植物にとっても環境が向上するのだと言っていた。近代技術の普及には当然ながら環境もセットで変容していかなければならないということを痛感する。