171216 tatopani tukche

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171216 tatopani tukche
朝。7時過ぎ朝食を食べて出発。9時ごろ、道が再び工事で通行止めになっている。道路拡張のために崖を削っていた。ヒュンダイのユンボーが崖の岩を砕き、その転がった岩を人がハンマーで細かくして外に運び出している。なんとなくそのユンボーと人々の姿が勇ましかったのでスケッチ
1時間半ほどで、ようやく開通。先へすすみ、次第に横を流れているカリガンダキの川幅が広くなってくる。タカリ族の村をいくつか横切り、河原を走る。このあたりの村の家々の壁は石積みできている。下流の方は屋根はトタンが多かったけれども、この地域ではスレート葺きの屋根がのっている。
午後3時ごろ、ようやくTukcheに到着する。ある大きな家を実測。家はすでに半壊しているが、中庭の部分や外壁はまだ残っており、かつての姿も想像することができる。構造は石積みと木造のハイブリッドであるがつまれている石の大きさや、柱の部材の大きさなどがかなり規格化されている。地上階は街道に面する部分は商店があったそうで馬の部屋、牛の部屋、酒のロキシーを作る部屋「パトン」、そして客人のサーバントらが宿泊する部屋があった。そして2階は台所「バンテャガンダ」、食堂「コトー」、寝室、そして神様(あるいはブッダ)をまつる部屋「ディムティエン」があり、どれも家の中央の中庭に向いている。(それぞれの部屋が固有の名前を持っている)
中庭は風の強いこの地域特有のものでもあり、もっぱら商いの取引のためにつかわれていたらしい。その家はまた商人たちへの金貸しもしていた質屋であったともいう。実測した家の正面は、「塩の道」ともよばれるチベットの方へと続く唯一の街道であった。屋上には軒の部分に、軒が風で飛ばされてないように大量の薪が積み上げられている。そして屋上の中央では、穀物の脱穀や天日干しなどさまざまな農作業が行われるための場であったという。屋上へは二階のテラスから象徴的な一木彫りの梯子階段がかけられている。
すこしはなれた場所にある宿舎へと歩いて向かい、引き続きさまざまな村の話を聞く。特に村の学校のはじめての先生であったというおじいさんに、いろいろ質問をさせていただく。村の中には大きく3つの街道がある。カリガンダキから一番近く、細い道が最も古い道で、そこには大量のマニ車が並んでいる。このマニ車の列はなぜあるのかと尋ねてみると、これはチベット仏教に由来するものであるが、この地はカリガンダキの洪水災害に度々あったことがあり、それを防ぐための祈りのものだという。”Spiritual Dum”だとも言っていた。とても興味深い。
街道は村の人々が増えるにつれ、内陸に別の新しいものができた。そしてさらに内陸に最近車のための道路ができあがったのだという。タカリ族の宗教はもとはシャーマニズムあるいはアニミズムであったが、そこにチベット仏教が入り、さらにヒンドゥ教が伝わって来たのだという。トゥクチェの村は現在70%が仏教で30%がヒンドゥであるそうだが、土着の信仰も残っている。村では宗教とはむしろあるイデア、教義に基づくものではなく、その時ごとに知恵を授けるもの、”giving us wisdom”の存在として村では受け入れられてきたという。とてもプラクティカルな宗教のあり方である。であるから宗教の対立もなく村の中でも自然に併存している。これは民族と宗教が混在するネパール全体に通底する感覚であるのかもしれない。
’Tukche’の意味はTrading placeの意味らしい。実測をした家の中庭がかつてのそのTradeの現場であったわけである。そして族名の「Thakali」とはタコラという名の場所に住む部族という意味で、タコラとは川の名でもあり、トゥクチェのあたりでカリガンダキと合流する川「ニームンキュー」(’ねずみの水’の意味)のネパーリ語タパコラに由来するするものだとも言っていた。
温かいロキシーをいただく。コティと呼ばれているFlied Riceを酒の中に入れて飲む。蒸留したどぶろく
のような地元の酒である。おじいさんはこれを入れると「ジョイーン!!」と味が変わるんだ言っていた。実際やみつきになるくらいおいしい。また「ピー」と呼ばれるどぶろくもいただいた。
宿の隣に住んでいる男性の方からアンモナイトの化石を見せていただく。アンモナイトはヴィシュヌの化身とされ、ここでは特に一部だけが表面に見えていて全ての姿が石の中に隠れて見えないものに特に霊力があるとされている。これも面白い。タカリの言葉で、アンモナイトは「ニャリムンム」とよばれている。ムスタンの向こうにはダムンドルグンダというアンモナイトが山のように集まっている場所もあるらしい。ヒマラヤの造山運動と人々の精神性がアンモナイトの造形を通して強固につながっている。
さまざまな話をきかせてくれたおじいさん含め、この村の人たちの多くがりんご農家だという。秋の9,10月頃には村がりんごでうめつくされるらしい。その風景もとても楽しみである。