KOROGARO / kengo sato / 佐藤 研吾

171217 Tukche Pokhara Patan

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カリガンダキを上流から見る

171217 Tukche
朝6時30分ごろ宿を出て、村から少し離れた河原まであるく。幅が500mか1kmはあろうかというカリガンダキの河原は、いくつか細い水の流れがあり、強い風が上流、すなわち北のほうから吹きつけてくる。時間によってその風の向きは変わるらしい。
カリガンダキは昔はもっと村から離れた向こう側にあったのだという。トゥクチェはかつては交易拠点としての大きな村だったが、チベット及び中国との国境が確立し、またイギリスによる南からの海の塩がチベットの山の塩に代わって主流となったために、目の前の塩の道が使われなくなったらしい。
しばらくすると、Dhaulagiriの頂に朝日が照り始める。それから周囲がだんだんと明るくなりはじめ、川の水面も煌きが増してくる。河原からは青の山と呼ばれるダウラギリと、白の山と呼ばれるNilgiriがカリガンダキを挟んで対峙している。カリガンダキは夏はその水が黒くなって見えるらしい。この地域では色彩によって空間、自然を捉えるようである。
宿に戻り、宿の隣の家のおじいさんに村の建設にまつわるさまざまなことを教えてもらう。曰く、工事において、建具の木造作など以外の土壁塗りや土方の仕事は非専職の人間が行うことが普通で、職方たちをまとめ指導していく棟梁が一人いれさえすれば家は建つのだという。その村の棟梁であったのが、このおじいさんであったというわけである。

村を出て、ひたすらに来た道をもどる。途中で再び道路拡張工事のために足止めをくらうが、下り道であるのでそれなりに早い。夜まで走り続けてポカラで宿泊。
171218 Pokhara
昼前にポカラを発つ。道路事故で3時間ほどは停止していたが、夜おそくようやくカトマンズまでたどり着く。カトマンズ市内にさしかかるとボトルネックの典型のように渋滞に巻き込まれる。カトマンズ近郊の道路はまだ舗装されていないにもかかわらず交通量が多いので、路面はボコボコである。夜、パタンの宿にもどってくる。

171219 Patan
午前午後ともにパタン市内を徘徊する。夜はもっぱら日本の人々と、シャンティニケタンのNilanjanさんMilonさんらとやりとり。月末からの家の工事で必要な木材などについて話し合う。問題はやはりインドにおいては木材の値段が相対的にとても高いということである。材の工夫が必要かもしれない。

171220 Patan
朝、パタン市内にあるトリブヴァン大学の工学部キャンパスへ。渡邊大志さんと建築学科を訪問。訪問してみてわかったのは、ネパールにはいわゆる近代建築、モダニズム建築が存在しなかったということだ。インド、バングラディシュ、カンボジアなどの周辺国では近代建築を受容したいくつかの作品、名作と呼ばれるものがある。けれどもネパールにはその受容の機会がなかったのであろうか。当時の鎖国が強く影響しているのかもしれない。
午後、タクシーに乗り、空港で石山さん、木本さん、渡邊さんと別れる。自分はそのままタクシーに乗ってボダナート寺院へ。一週間前に訪れたアートギャラリーへ再び。LAXMANさんと再会。彼の作品リストとテキストを送ってもらうように改めて依頼する。そのあと、タミルチョークへ寄り道して、PC作業。
しばらくしてパタンの宿に戻る。日本の歓藍社のはしもとさゆりさん、渡辺未来さんと、来年はじめにシャンティニケタンの芸術学部Kala Bhavanaと共同開催する予定のワークショップの内容について話し合う。おおまかには7月の歓藍社の夏祭りでやった染めの道具作りを中心にやってみようとなった。

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